SPECIAL CONTENTS

Memorial Interview

「ダブルアニバーサリーデー」に登場するゲストの皆さんがホークスの思い出・ドームの思い出を振り返る連載企画。
最終回となる今回は、9月8日(金)のセレモニアルピッチに登場する攝津正さん。エースとしてホークスの常勝期を支えた攝津さんに、「10.2決戦」とも称される劇的なリーグ優勝、そして日本一を決めた2014年を振り返っていただきました。

ホークスには2009年に入団、2018年まで10年間プレーしました。その間にリーグ優勝と日本一が5度ずつ。まさに常勝期を支えました。入団当初のことで覚えていることは?

僕は26歳でのプロ入りで余裕はないと思っていましたから、とにかく1年目からが勝負という思いでした。
また、前年までは王(貞治)会長が長く監督を務められていて、チームは秋山(幸二)監督の下で新たにスタートを切るタイミングでした。もしかしたら、チームとしては難しい時期だったのかもしれませんが、僕はすごくやりやすいチームに入れたなと感じていました。
ベテランと中堅、若手のバランスがとても良かった。ベテランには小久保(裕紀)さん、松中(信彦)さん、柴原(洋)さんに多村(仁志)さんがいた。その下にムネ(川崎宗則)さんや本多(雄一)、マッチ(松田宣浩)がいて、次の世代のチームのけん引役が、お手本になる先輩たちの下で成長しているところでした。
投手陣も和田(毅)さん、杉内(俊哉)さんがドシっとチームの中心にいた。だけど年齢も近かったですし、すんなりとチームに入っていくことができました。

最初はやはりガムシャラでしたか?

無我夢中でしたね。
チームは前年こそ調子が悪かった(最下位)ですけど、ホークスは常勝チームという意識で見ていましたし、王会長が築いてきた強いホークスがどんな野球をするのか、それもすごく楽しみでした。
だからすごくいいチームに入ったな、と思っていました。

入団から2年間は中継ぎでフル回転しタイトルも獲得。3年目から先発に転向し、すぐにローテに定着して大活躍。その適応力の秘訣は?

アマチュア時代から先発、リリーフの両方を経験していたので抵抗もなかったですし、基本的に投げることは同じですから。
いかに先発のリズムをつかむか。それだけでした。

先発転向2年目の2012年は最多勝(17勝)と最高勝率のタイトルを獲得し、沢村賞にも輝きました。

2011年は和田さんと杉内さん、ホールトンと一緒に先発ローテを回っていましたが、その3人が一気にチームから抜けました。正直どうしよう…と思いましたよ。
でも、自分がやらなきゃいけない、自分がしっかりしないとチームが大変なことになってしまうと分かっていましたから、かなり気持ちを引き締めてキャンプから臨んでいました。

素晴らしい活躍をしたシーズンでしたが、満身創痍でしたよね。

そうでした。ヘルニアを発症してキャンプやオープン戦でまともに投げられずにぶっつけ本番でシーズンに臨むことになったんです。
しかし、秋山監督からは早い段階で開幕投手に指名されていました。そんな状態ですから『どうする?』と訊かれましたが『できません』とは言えなかった。
いざ開幕戦。変な緊張感もあったし、恐怖も感じてマウンドに立っていました。それまでの野球人生で、1か月間も投げないで本番のマウンドに臨むなんてことはなかったので(7回4安打1失点、自責点0で勝ち投手)。
ただ、思えばその試合に限らず、マウンドに上がるときって常に不安とか恐怖感と戦っていた記憶ばかりですね。試合を楽しむなんて感情にはなれませんでした。

現役引退後の攝津さんと当時の「攝津投手」はまるで別人のようです。

そうですね(苦笑)。
あの頃は常に研ぎ澄まされた状態。楽しむなんて余裕はなかったし、常に気を張っていました。

体も心もギリギリでもマウンドに立ち続け、その中で5年連続二桁勝利(2011~2015)や球団記録の5年連続開幕投手など結果で応えてきました。だからこそ『エース攝津』と呼ばれるようになっていきました。

周りの方に認めてもらえるのはやり甲斐でもありましたが、その期待に常に応えないといけないわけです。
重みやプレッシャーは常にありました。本音でいえば、エースの称号から逃げ出したかったですよ。僕も1人の人間ですから。だけど、逃げられない。その葛藤と闘っていましたね。
また、2012年は17勝しましたがチームは3位、翌年は15勝で4位。チームが優勝しないと僕も評価はされないし、納得もできません。
特に2013年はプロに入って初めてのBクラス。クライマックスシリーズにも出られずシーズンが終わってしまって、物足りなさがすごくありました。

そういった中で迎えたのが2014年シーズンでした。

チーム全体が悔しさを晴らそうと臨んでいましたし、もちろん僕自身も同じでした。
しかし、開幕後に右肩の状態が悪くなり初めて離脱を経験。最終的に10勝はしましたが、不甲斐なさや情けなさを抱えながら、何とかチームのためになりたいと思って投げていた年でした。

ただ、チーム一丸で戦いホークスは夏場も首位を快走。しかし、シーズン終盤は苦しい戦いとなりました。

9月中旬あたりから勝てない試合が続きました。
ずっと抑えてきた五十嵐(亮太)さんやデニス(サファテ)も苦しんだり。めったに起きないようなプレーや試合内容で敗戦し、何か普段のようにいかないもどかしさ、難しさを感じながら戦っていました。
僕自身は終盤戦にはローテに戻ることができましたが、自分が投げる試合以上に見ている時の方がすごく緊張感があって、精神的にきつかったのは覚えています。

そして世紀の一戦、2014年10月2日のオリックス・バファローズ戦を迎えます。シーズン最終戦のホークスは勝てば優勝、敗れればオリックスが限りなく優勝に近づくという天下分け目の一戦でした。

僕らは正直、崖っぷちでその日を迎えたという感じ。だけど下を向いてはいられない。
マッチはワーワーと声を出していましたよ。でもカラ元気だったでしょうね。自分自身の不安を払しょくするために声を出すみたいな。
他のみんなも同じでした。とにかく騒いでみたり。何とかしようと、1人1人がそんな感じでしたね。

先発したのは大隣憲司投手でした。どんな様子でしたか?

アイツはいつも通り、試合前もずっと喋っていました。でも、不安になるにつれて口数が多くなって落ち着きがなくなるタイプ。相当な重圧を感じていたと思います。僕とは逆ですよね。
僕の場合は、先発の日は試合直前になると誰とも話さない。余計な情報を入れず、自分の世界を作ってマウンドに向かいたかったので。

攝津さんは試合をどこで見ていましたか?

投げない先発投手は体のケアをしたりして、それが終わったらロッカールームで試合を見ます。
あの日も同じでした。ただ、優勝が決まれば胴上げやセレモニーがあるので帆足(和幸)さんや中田(賢一)と『いつユニフォームに着替えようか』という話をしながらソワソワしてモニターを見ていました。
普段の試合はみんな黙って見ていますが、あの日は一喜一憂ですよ。試合展開も緊迫していましたから。

ホークスが序盤に先制するも7回に追いつかれて延長戦に。10回表は満塁のピンチでしたが、ペーニャ選手を遊邪飛に抑えてしのぎました。

ペーニャってホークスにいたあのペーニャ?あの年はオリックスにいましたっけ。懐かしいな。
そっか、天井に当たった打球を(今宮)健太がキャッチしたんですよね。思い出しました。

そして10回裏、松田選手のサヨナラ打が飛び出してリーグ優勝が決まりました。

あの瞬間はすぐにグラウンドに飛び出せるようにベンチ裏の選手サロンにいたと思います。
話をしていると色々思い出しますね。本当にうれしかった。

皆が感激の嬉し涙の中、秋山監督の目にも涙がありました。

僕も泣きました。秋山監督の顔を見たら、いろんな感情がわいてきて。

クライマックスシリーズ・ファイナルステージ開幕の前日に秋山監督の退任が発表されました。

僕ら選手も新聞記事で知りました。チームが動揺する中、ミーティングが行われて秋山監督から直接説明があったのを覚えています。
秋山監督のために日本一になろう。一体感が出ましたね。

攝津さんにとって秋山監督はどんな存在でしたか?

選手を大人として扱ってくれる方でした。僕がルーキーで入ったときも『やることは分かっているな』と。口数は多くなく、練習でもアレコレ言われることは少なかったです。とにかく『プロは結果』だと。
でも、それがプロの世界。結果が出なければファームに落ちるし、やれれば長くプレーできる。分かりやすかった。
そういう環境だと自分で考えるようになるんです。工夫して勉強して研究して。なんでも与えられてばかりだと考えなくなりますから。
だから、僕も常に考える習慣がつきました。

最後は阪神タイガースを倒して日本一に。それを決めた日本シリーズ第5戦に攝津さんは先発して6回無失点と好投しました。

シーズン終盤もクライマックスシリーズも結果が出ず、しんどい中での登板でした。なんとか最後の最後でチームに貢献出来て少しホッとしました。

あの苦しかった2014年を勝ちきったことで、ホークスはさらに強くなったように思います。

それはあると思います。同学年の内川(聖一)とかデホ(李大浩)がまだ30代前半で、柳田(悠岐)や(中村)晃、(今宮)健太とか20代中盤くらいですよね。こういう経験をしたメンバーがチームの軸としてその後も戦っていきましたから。
その前年がBクラスだった悔しさも含めて、色々な経験をしたメンバーが集まったのは大きかったと思います。

当時のメンバーが、今はベテランとなって頑張っています。

あのような経験をした彼らが、若い選手たちにいいものをいかに伝えられるか。また、しびれる場面になればなるほど、経験者である彼らがチームを引っ張っていってくれると思います。
彼らも、そして若い選手たちもできると思いますよ。ホークスはいい選手ばかりですから。

9月8日、今年6度目のダブルアニバーサリーデーでは久しぶりにPayPayドームのマウンドに上がります。意気込みをぜひ。

先日、東京ドームでプロ野球OBの試合があって登板しましたが、年々ボールは速くなっていますよ。
引退して5年、ようやく肩の痛みがなくなってきました。きちんと投げられればと思いますが、僕は目立つのは苦手なので(笑)。
その日もホークスのみんなが最高の試合をファンの皆さんに届けてくれるのを願って、投げさせてもらいたいと思います。