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Memorial Interview

「ダブルアニバーサリーデー」に登場するゲストの皆さんがホークスの思い出・ドームの思い出を振り返る連載企画。第6回は8月19日(土)のセレモニアルピッチに登場するデニス・サファテさん。2017年の日本シリーズで3イニングを熱投し日本一に貢献した鷹の「キング・オブ・クローザー」に、当時の想いや今回久しぶりにマウンドに立つ意気込みを語っていただきました。

日本球界に11年間、ホークスには8年間在籍したサファテさんですが、2017年シーズンは特別な1年でしたか?

米国時代を含めた自分の野球人生の中でも一番素晴らしい年でした。同じくリーグ優勝と日本一に輝いた2015年もいいチームだったけど、それを超えるような年でした。

シーズン54セーブは今も日本記録です。何がその成功の要因だったのでしょうか?

野手があんまり点を取らずセーブ機会が多かったことかな(笑)。
それは冗談だけど、ホークスは強くて7回や8回に逆転をして自分に出番が回ってくる試合もよくあった。このような記録は、機会に恵まれないと達成できません。そして自分の力だけではどうすることもできない。だから、私の前の記録が岩瀬サン(元中日)と藤川サン(元阪神)の46セーブだったけど、彼らに同じ質問をしても『理由はわからないね』と答えるでしょう。
ただ1つ大きかったのは、この年の5月に私自身の都合でアメリカに帰国した時期があったんです。約10日間ほどでしたが、その間は大差で勝つなどセーブ機会のある試合が1度もなかったんです。チームメイトのことを本当に誇りに思えました。

そして日本一を決めた日本シリーズ第6戦(横浜DeNAベイスターズ戦)での3イニングの熱投も、今もファンの心に焼きついています。どんな思い出がありますか?

ホークスは3戦目までに3連勝。しかし、4、5戦に連敗して横浜から福岡に戻ってきました。もし第6戦に負けてしまうと自分たちが追い込まれる。
9回表、1点ビハインドの状況でしたが、守護神の自分がマウンドに送られました。工藤公康監督(当時)の綿密な計算も隠されていたと思います。流れを呼び込む投球も期待されていたのでしょう。それがズバリ当たりました。
9回裏に内川の同点ホームラン。当然、自分はその後もマウンドに行くつもりで準備をしていました。

3イニング目の11回表も無失点に抑えると、スタンドへ「もっと声援を」とポーズを送りました。

自分自身の気持ちも高ぶっていたし、ファンのみんなも長い試合で疲れていたかもしれないけど、もう1度気持ちを1つにして戦っていこうという思いを込めたんです。
ホークスのファンは日本一素晴らしいのは分かっていた。相手の投手に与えるプレッシャーも大きいからね。

11回に川島慶三選手のタイムリーでサヨナラ勝ちし、日本一が決まりました。

本当に最高の瞬間でした。
ただ、もし慶三が11回裏に決めていなくても4イニング目も投げるつもりだった。世間ではあの時3イニングを投げたせいで翌年に怪我をしたと思っている人もいるかもしれない。だけど、自分は全くそう考えていない。
また同じ機会があれば、同じようにマウンドに向かうと思います。

セーブ王のタイトル、シーズンと日本シリーズのMVPなど数々のタイトルに輝きました。それらのトロフィーは今もご自宅に?

もちろん。トロフィーや54セーブを記念してメーカーが作ってくれた特別グラブ、200セーブ達成時に先発ピッチャーからもらったワインもね。
自分の中では正力松太郎賞が一番の誇り。野球界に最も貢献した人に贈られる賞で、外国人選手としては初だった。すごく光栄に感じていますよ。

その後は股関節の故障があり、2021年11月に現役引退を発表されました。難しい決断だったのでは?

2018年もいい状態でキャンプインしたんです。しかし、シーズン開幕直後の仙台遠征の時、バンデンハークと通訳と食事に行こうとホテルを出て歩いているとき『何かおかしい』と感じました。足をさすりながら歩きました。それが始まりでした。
1回目の手術では好転せず、2回目の手術で患部に金属プレートを入れて、それ以降は状況が改善されました。もし最初からその手術をしていれば復帰できたかもしれませんが、それは今言っても仕方ないこと。
たしかに野球は自分の人生の大半を占めるもので、引退したときは心に穴が開いたような感覚になりましたが、もしプレーを続けながら引退の線を引くというのは難しかったと思う。怪我をしてプレーできなくなったから、決断はしやすかったのかもしれません。

今、野球とのかかわりは?

時々ホークスの結果を見ているくらい。今は家族との時間を大事にしています。
ただ、妻とはたまに話しますが、『今でもトレーニングはやっているから、もし3か月きっちりやれば普通に投げられるようになるよと』と。それくらい体の状態はいいんです。代理人からもトライしてみろよと言われます。日米の野球界で金属プレートを股関節に埋め込む手術をして復帰したピッチャーはいないので。
ただ、現役復帰はともかくとして、体調はいいから今は日本に行くのを楽しみにしていますよ。

復帰をみたいファンは多いと思いますよ

1か月半くらい野球ボールを握ってないですからね。まあ戻ることができたら、3桁背番号の育成選手からスタートかな(笑)。

今度の来日で再会が楽しみなのは?

山田通訳ですね。8年間ずっと、家族以外でいえばグラウンド内外で最も多くの時間を共にしましたから。家族も会いたがっている。
それに森唯斗はもちろん柳田悠岐とかにも。マッチ(松田宣浩)は今はホークスにいないんだよね。コーチになった長谷川勇也、あとは的山哲也さんとか。トレーナーやスタッフにも。
会える限り、いろんな人に会いたいです。

福岡で訪れたい場所などは?

大濠公園はよく行っていて、そこのレストランは家族の思い出の場所。通っていた大名のもつ鍋のお店とかね。
住んでいたマンションの周りも散策したいね。

8月19日、久しぶりにPayPayドームのマウンドに上がります。意気込みは?

投球前にブルペンでアップはできますか?その日の先発ピッチャーに『ちょっと待ってくれ、クローザーが準備するから』と言っておいてください(笑)。
そして、The King of Closerの演出もあるのかな。あの音楽がかかると、いろんな思いがよみがえって、目に涙が少したまるかもね。

最後にファンの皆さんへ

みなさんに最後にお会いしてから長い時間がたってしまいました。福岡は僕にとって第2の故郷です。皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。
そして、自分が来たことでホークスにとっての“スパーク”になれば。2017年も『サファテの喝』というのがあったんです。それからチームがガラリと変わりました。今回も逆転優勝のためにチームに喝を入れたいと思います。