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Memorial Interview

「ダブルアニバーサリーデー」に登場するゲストの皆さんがホークスの思い出・ドームの思い出を振り返る連載企画。
第3回は5月4日(木・祝)のセレモニアルイベントに登場する工藤公康さん。
福岡ダイエーホークスのエースとして初の日本一に貢献し、福岡ソフトバンクホークスの監督としても実績を残した工藤さんに、「強いホークス」に変化していく道のりや1999年の初優勝時のエピソードを伺いました。

工藤さんは「優勝請負人」と称されるように、ファンの多くは「ホークスを強くしてくれた方」と感じていると思います。

いえいえ、僕よりも根本(陸夫)さんだと思いますよ。
根本さんは『強いチームを作りたい』という思いが強かったし、王さんと長嶋さんが日本シリーズで戦うことで野球が盛り上がり人気回復につながると考えられていました。僕がダイエーホークスに入った時も『ワンちゃんを胴上げするんだ。その後にON対決だ。そのために一生懸命頑張れ』という話をされました。
王監督からは『ホークスを強いチームにしてほしい』と言われていました。僕は当時32歳。チームの中では年齢も上の方で、若い選手よりは経験もある。自分が出来ることは何でもやろうと思いました。

その頃のダイエーホークスは勝てない時期でした。

正直、練習量が足りないし、何よりも緊張感がチームの中にないと感じました。
そこに対しては遠慮することなく相当怒りました。ロッカーの椅子を蹴り飛ばしたこともありました。負けても笑っているようなチームだったので、緊張感を持たせるには怖がられることが必要だと思ったからです。
ベテラン選手がそんな雰囲気だから、年下の選手も『それでいいんだ』と流されていました。そういった中で1人だけ『ダメだ』と言って雰囲気をぶち壊す。
僕は根本さんと王さんに『強くする』と約束をした。出来ることはやらなくてはいけない。
とにかく1人でもいいから理解をしてくれたらいいと思ったし、たとえ1人でも頑張っていくだけだと思っていました。

自ら嫌われ役に。なかなか出来ないこと。

王監督のもとで選手ができるなんて、なかなかないことですよ。縁あって一緒にユニフォームを着ることになった。しかも力を貸してくれと言ってもらえたのです。
その約束だけは何があっても守りたいと思いました。

チームに変化の兆しは?

僕がホークスに入る前年には秋山(幸二)さんも、僕と同じように西武ライオンズから移籍してきましたが、当時の若手の中では小久保(裕紀)くんの存在は大きかったと思います。
彼は勝利に貪欲で練習も決して手を抜かない。集中力もあった。そういう彼が2年目には本塁打王をとりレギュラーになった。そういう姿を見れば、周りの人間も『やらなきゃ』という雰囲気になる。
もし、先輩やレギュラーの遊んでいる姿しか見ていなければ、若い選手は『これでいいんだ』と思ってしまう。もっと上に行くんだという姿が見えることがとても大事なのです。おかげで僕はピッチャーを中心に見ればよかった。
あと、チーム全体の雰囲気が変わったといえば、生卵事件だったかもしれません。

1996年5月9日の日生球場での近鉄戦ですね。振るわないチームへ一部のファンの方が抗議し、試合後にチームバスへ生卵をぶつけたという。

あの時は王監督への厳しい言葉があったり横断幕が掲げられたりしました。ただ、王監督はじっと前を向いていた。愚痴を言うわけでもなく、選手を責めるわけでもありませんでした。あの姿を選手たちは全員見ていました。
選手同士で何かを話し合ったというわけではなかったけれど、選手全員が『このままじゃダメなんだ』ということを理解したと思います。
生卵事件の日、宿舎に帰っても王監督はみんなを集めて檄を飛ばすようなこともしなかった。もしそこで何か言われていたら、逆にシュンと静まり返っていたかもしれませんでした。
ただ1つだけ『ファンは応援してくれている。ダイエーのことを本当に思ってくれているからこそ、ああいう行動に出たんだ」と、ファンを悪く言うこともなかった。この方は違うなと、本当にそう思いました。
それ以外にも、普段から王監督はお客さんを意識するようなことをよく言ってました。

たとえば?

ある日、試合前に選手を集めて『今日は何の日か分かってるか?』と聞かれたんです。
みんな『???』。
すると王監督は『今日はNHKで中継だろ。全国の人がダイエーの試合を見るんだ。分かってるか』と。
当時は今のようにCS中継やインターネット中継がなかったので、NHKでの全国放送は本当に貴重な機会でした。王監督はそれくらいファンを意識して野球をやっていたのです。

そして1999年にダイエーホークスは九州移転後初、球団として26年ぶりの優勝を果たします。それまでのシーズンと何か違った雰囲気などあったのですか?

雰囲気の違いを生まないように意識していたと思います。
例えば、勝ちが続き気が緩みそうになっていたら、雰囲気を締めるようにしていました。勝負事は最後の最後まで分からない。
何度もカツを入れました。

勢いに任せたシーズンではなかった?

勝った経験がないチームや選手というのは気持ちの上下、いわゆる波が激しいのです。
負けが込むと『誰か打ってくれ』『頼む、抑えてくれ』と、気持ちが他力本願になりがちになります。とは言っても人間ですから、ある程度は仕方のないことですが、その波が“大きすぎる”ことが良くないのです。
勝っても浮かれない、負けてもすぐに切り替えること。それを言い続けました。
気持ちをコントロールしていく経験を積み重ねることで波がどんどん小さくなるし、勝てば勝つほどマイナスに落ちることなくプラス域の中で上下するようになるのです。

その言葉で若い選手たちが壁を乗り越えたのですね。

いえ、どちらかというと反発する気持ちの方が大きかったと思いますが、それでいいと思っていました。
『なにくそ、言わせてたまるか』が『打たれてたまるか』という気持ちになるからです。
当時のホークスの後輩といえば、今のホークスでコーチをやっている若田部(健一)コーチとか佐久本(昌広)コーチとか星野(順治)コーチ、あとはフロントにいる永井(智浩)くんや僕が監督時代にコーチを務めていた倉野(信次)くん。そしてその中に、初優勝の翌年に亡くなった藤井(将雄)くんがいました。
彼は勝つことにこだわって、チームを強くすることにすごく強い思いを持っていましたが、僕が若いピッチャーたちに厳しく当たった後に、間に入ってフォローしてくれていたということをのちになってから知りました。

また、1999年は城島健司捕手と「最優秀バッテリー」に輝きました。城島捕手については?

本当によくやったと思う。僕にしても、98年まで在籍した武田(一浩)投手にしても彼には結構厳しいことも言いましたし、疑問点など課題を出すと、それは必ずやってきた。偉いなと思って見てましたよ。
また、彼の性格だから僕らも強く言えたというのはありました。シュンとするのではなく打てば何倍にも響く。落ち込んでしまう選手なら、僕も言わなかったと思います。

城島選手にとって師匠ですね。

皆さんは僕が『城島を育てた』と表現されますが、そうじゃない。
先ほどの小久保くんの時と同じように、周りが一生懸命考えてやるような“人が育つ環境”を作ってその中に入れれば、選手は自分で育ちます。また、彼が勉強する分、僕も勉強しました。そうしないと教えることはできないですから。お互いに勉強しながら成長していったんです。

ダイエーホークスがパ・リーグ優勝を決めた1999年9月25日、福岡ドームでの日本ハムファイターズ戦。その日をどのように記憶されていますか?

僕は2日前の試合で先発していたので、ロッカールームかトレーナー室にいたと思います。
ソワソワしたかって?全然!
その試合で勝つことが決まっているわけではなく、もし負けたら次の日がくる。もし連敗すればまた次の日になる。そうなると重圧がどんどん膨らむわけです。
一度緊張の糸を切ってしまうと元に戻すのは難しい。だからいつものルーティンを崩さず過ごしていました。違ったのは9回表だけでした。先発でもない試合でユニフォームに着替えてベンチにいましたから。

優勝が決まった瞬間は?

ピンと張りつめたものが少し緩んだのを覚えています。王監督を胴上げできたことは何よりの達成感でした。
けれど、緩んだのはその日の夜だけでした。本当に強いチームになるためには日本シリーズという大舞台で勝ちきることで、次への挑戦権が得られるのです。だから日本一にならないと意味がなかった。

日本シリーズでは中日ドラゴンズを4勝1敗で下して日本一に。この年の歯車が1つでも狂っていれば、ホークスならびにプロ野球界の未来は全く違っていたんでしょうね。

そうだと思います。勝たないと変われない。そういうものです。勝つことで、そこに向けてやるべきことが当たり前になる。
練習も、考え方も、日頃の過ごし方も。そういう中で頑張った人間は精神的に強くなれるのです。

それから時を経て、2015年から監督としてホークスに帰ってきました。

チームを強くしたい、勝ちたいという気持ちを選手に伝える。それは僕が現役時代の王監督を見てその大切さを身に沁みて感じていました。王監督は本当に野球に入り込んでいましたし、時にはドームの4万人のお客さんよりも大きな声を上げて、目の前の1球に集中していました。
選手って意外とそういう部分は冷静だったりするんです。特に僕はピッチャーだったのでなおさらでした。
しかし、実際に監督になり、はじめてそうやって気持ちを前面に出すことの大切さを感じました。

2021年シーズンで退任されましたが、今もホークス戦はご覧になっていますか?

もちろん!
最初にチェックするのがホークスですよ!

常勝ホークスの礎を築かれた1人として、ホークスの未来へ期待されることは?

孫オーナーが言われるように10連覇や世界一を実現していくために、常にホークスが野球界をリードしていく存在であってほしいですね。
大変なことかもしれませんが、だからやりがいがある。ホークスってやりがいのある球団ですよ。
その中でみんなが努力していけば、夢だと思っていたことが実現するかもしれない。
また、僕のことはともかく王さんや秋山さんをはじめ先人たちがどんな野球をして、どのようなことをしてきたから勝てたのかということを知っておいてほしいです。
僕のことはいいですよ(笑)。

そして、5月4日の「ダブルアニバーサリーデー」ではセレモニアルピッチのマウンドに立たれます。

はい、頑張ります。
140キロくらい投げられるならば正式にユニフォームに着替えて投げますけど、今は120キロくらいかな(笑)。
それでも野球教室に行けば、今もバッティングピッチャーをやっています。

捕手役が城島健司さん。黄金バッテリーの再結成も楽しみです。

ノーサインでカーブを投げて、股の間でも抜こうかな(笑)。
慌てて拾いに行って、僕は本塁のベースカバーに入り、二塁あたりから周東くんに走ってもらったりね。
でも大事な試合の前に整備されたグラウンドを汚しちゃダメだね。しっかり頑張りますし、当日を楽しみにしています。