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ヒストリー

1938 - 1946

1938

リーグ順位:8位

3月 日本職業野球連盟に加盟承認(9番目)

球団創立初年度の南海軍

1939

リーグ順位:5位

中モズ球場完成
鶴岡一人選手が入団

1940

リーグ順位:8位

1941

リーグ順位:4位

1942

リーグ順位:6位

神田武夫投手、2年間で49勝(翌43年21歳で没)

神田投手

1943

リーグ順位:8位

1944

リーグ順位:6位

チーム名を「近畿日本軍」と改称

1945

リーグ順位:-

戦争激化のため、公式戦中止

1946

リーグ順位:1位

「近畿グレートリング」と改名、この年創設以来初のリーグ戦優勝

1947 - 1988

1947

リーグ順位:3位

球団名が「南海ホークス」に

1948

リーグ順位:1位

2度目のリーグ優勝

2度目の優勝

1949

リーグ順位:4位

オフに南海、阪急、大映、東急、毎日、近鉄、西鉄で太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)結成

1950

リーグ順位:2位

9月 大阪スタヂアム開場

大阪スタヂアムの様子

1951

リーグ順位:1位

通算3度目の優勝、パ・リーグ初制覇

1952

リーグ順位:1位

最終戦で勝ち1ゲーム差のリーグ優勝

南海 山本監督と巨人 水原監督

1953

リーグ順位:1位

初のリーグ3連覇も、日本シリーズは3年連続巨人に敗れる

1954

リーグ順位:2位

野村克也選手入団

1955

リーグ順位:1位

年間99勝のプロ野球最多記録でリーグ優勝も、日本シリーズで巨人に敗れる

日本シリーズ第3戦、勝利の立役者(飯田徳治選手、森下正夫選手、岡本伊三美選手)

1956

リーグ順位:2位

大型打者を集め「400フィート打線」と喧伝される

1957

リーグ順位:2位

野村選手、30本塁打を放って初の本塁打王に

初の本塁打王野村克也選手

1958

リーグ順位:2位

杉浦忠投手、27勝で新人王に

1959

リーグ順位:1位

杉浦投手38勝4敗、日本シリーズでも4連投4連勝で初の日本一に

日本シリーズMVP 杉浦忠投手

1960

リーグ順位:2位

杉浦投手が2年連続の30勝超え

1961

リーグ順位:1位

2年ぶりのリーグ優勝

1962

リーグ順位:2位

1963

リーグ順位:2位

1964

リーグ順位:1位

スタンカ投手が日本シリーズ史上初の3完封で日本一

2度目の日本一に輝いたホークスナイン

1965

リーグ順位:1位

リーグ連覇、野村選手が戦後初、史上2人目の三冠王に

1966

リーグ順位:1位

3年連続11度目のリーグ優勝

1967

リーグ順位:4位

パ・リーグ初のBクラスに転落

1968

リーグ順位:2位

野村選手が8年連続9度目の本塁打王

野村克也選手

1969

リーグ順位:6位

戦後初の最下位

1970

リーグ順位:2位

野村選手が、兼任監督就任

1971

リーグ順位:4位

門田博光選手が2年目で打点王に

門田博光選手

1972

リーグ順位:3位

1973

リーグ順位:1位

パ・リーグが前期後期の2シーズン制にプレーオフで阪急を下し、リーグ優勝日本シリーズで巨人に9連覇を許す

1974

リーグ順位:3位

1975

リーグ順位:5位

1976

リーグ順位:2位

江夏豊投手がトレードで入団

江夏豊投手

1977

リーグ順位:2位

リーグ2位となるが、これが南海ホークス最後のAクラスに

1978

リーグ順位:6位

9年ぶりの最下位

1979

リーグ順位:5位

1980

リーグ順位:6位

「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行選手がドラフト2位で入団、初打席初本塁打

香川選手が入団

1981

リーグ順位:5位

アキレス腱断裂から復帰した門田選手が44HRでタイトルを獲得

山内トリオ(山内和宏投手、山内新一投手、山内孝徳投手)

1982

リーグ順位:6位

1983

リーグ順位:5位

パ・リーグが1シーズン制に

1984

リーグ順位:5位

1985

リーグ順位:6位

1986

リーグ順位:6位

1987

リーグ順位:4位

10年連続のBクラスに

1988

リーグ順位:5位

門田博光選手が不惑の年に本塁打・打点で2冠を達成、南海ホークス終焉

セレモニーで挨拶する杉浦監督

1989 - 1992

1989

リーグ順位:4位

福岡ダイエーホークス誕生
初年度は4位

1990

リーグ順位:6位

球団史上最多の85敗を喫する

1991

リーグ順位:5位

1992

リーグ順位:4位

平和台球場ラストイヤーは4位に最終戦は若田部健一投手が野茂投手に1|0で投げ勝つ

平和台ラストゲーム

ドーム開業

1993 リーグ順位:6位

福岡ドームが開業 福岡ドーム元年は最下位に

1994 リーグ順位:4位

秋山幸二選手がトレードで入団

1995 リーグ順位:5位

王貞治氏が監督に就任

1996 リーグ順位:6位

日本記録となる19年連続Bクラスに

1997 リーグ順位:4位

1998 リーグ順位:3位

21年ぶりのAクラスに

1999 リーグ順位:1位

悲願のダイエー球団としての初優勝、そして日本一に

2000 リーグ順位:1位

リーグ連覇日本シリーズは巨人に敗れる

2001 リーグ順位:2位

チーム203本塁打、小久保裕紀選手、松中信彦選手、井口資仁選手、城島健司選手が30発90打点以上をクリア

2002 リーグ順位:2位

秋山選手がこの年で現役引退を表明

2003 リーグ順位:1位

100打点カルテット誕生で3年ぶりV 斉藤和巳投手が20勝3敗でブレーク

2004 リーグ順位:2位

松中選手が平成唯一の三冠王を獲得シーズン1位もプレーオフに泣き優勝逃す

2005 リーグ順位:2位

福岡ソフトバンクホークスが誕生松中選手が松坂投手から1試合3本塁打

2006 リーグ順位:3位

プレーオフで無念のサヨナラ負け

2007 リーグ順位:3位

2008 リーグ順位:6位

王貞治監督勇退

2009 リーグ順位:3位

2年連続での交流戦優勝攝津正投手が新人王を獲得

2010 リーグ順位:1位

ソフトバンクとなって初のリーグ優勝勝利の方程式「SBM48」が活躍

2011 リーグ順位:1位

ソフトバンクとなって初の日本一に輝く

2012 リーグ順位:3位

チーム防御率は2年連続TOPもシーズン3位に

2013 リーグ順位:4位

秋山監督になってから初めてBクラスに

2014 リーグ順位:1位

秋山監督二度目の日本一を達成監督を退任

2015 リーグ順位:1位

工藤監督が就任2年連続7度目、球団史上初の日本シリーズ連覇

2016 リーグ順位:2位

筑後市にHAWKSベースボールパーク筑後誕生シーズン終盤に日ハムの猛追を受けリーグ2位に

2017 リーグ順位:1位

パ・リーグ史上最速のリーグ優勝決定2年ぶりの日本一に輝く

2018 リーグ順位:2位

パ・リーグ2位となるが日本シリーズで勝利し日本一

2019 リーグ順位:2位

福岡移転30周年記念事業「WE=KYUSHU デー」を九州各地で開催

2020 リーグ順位:1位

4年連続日本一 コロナ感染拡大の影響をうけ公式戦の延期、無観客試合の開催
ホークス史上初の4年連続日本一

2021 リーグ順位:4位

工藤公康監督退任

2022 リーグ順位:2位

藤本博史2軍監督の1軍監督就任若手選手育成とチーム戦力強化の為に4軍制を導入

2023

球団創設85周年ドーム開業30周年を迎える